
さかなさんですどうもこんにちは!
本日の記事は夏木志朋著『二木先生』のレビューです!
このレビューではネタバレになりそうな箇所はワンクッション(タップすると読める)していますが、それ以外の箇所でも読了直後の心情をありのままに綴ったりしているので、人によっては展開が読めてしまったりするかもしれません。
まっさらな気持ちで読みたい方は書籍を読み終わってからこちらの記事をお読みください。
夏木志朋『二木先生』レビュー
周囲の人と感覚がズレていて、いつも馬鹿にされている中学生の田井中は、ある日担任であり美術教師である二木先生の秘密を知ってしまう。
その秘密をネタに、田井中は二木先生にある取引をもちかけるが…
青春小説だった
まず言いたいのは、このあらすじ&この(↓)ミステリアスな表紙から受ける印象と、実際に読んでみての印象がまっっったく違ったということです!
ドロドロしてたりサスペンスっぽかったりするのかと思ったら、思いっきり青春小説でした(個人の感想です)
いやこれは意外でしたね。
性癖に刺さりまくった二木先生
そんでもって二木先生めちゃくちゃかっこよくないか。
健全に見てもかっこいいけど、ちょっとよこしまな方のセンサー(性癖とも言う)が警報級に反応してしまって非常に戸惑いました。
頭良くて強気で不遜な感じなのに実は弱い部分を持ってて追い詰められて吐いちゃうとか…なんなの…ド性癖…。
しかも実はめちゃくちゃ生徒思いで優しいんだよ…やめてくれ…ド性癖…。
吉田お前はなんなんだ
終盤に存在感を増すいじめっ子の吉田があまりにも胸糞で、正直途中読むのしんどかったです。
でも二木先生が「二号」と呼んでいたことや最後の描写を見るに、彼も『あっち側(=極端な生き辛さを抱えている側)』の人間で、誰かを虐げることでなんとか自分を保って社会と関わってるそういう存在なんだろうな。
主人公とは比べ物にならないぐらい社会との関わり方を間違えてるけど。
「自分を好きでいられる行動をとりなさい」
いつも空気を読めない言動をして場を凍らせてしまう主人公に、主人公の母親は
「それはあんたの個性だから、あんたはそのままでいいの」
と言い続けます。
でも現実問題として、そのままでいても、うまく社会に馴染めずみんなに馬鹿にされる状況は変わりません。
そのため主人公は母親に対してはどこか「無責任だなぁ」と感じています。
ある時にはたまたま参加した同級生の誕生日会で、同級生の父親に
「子どもはもっと子どもらしくしろ」
と諭されます。
主人公は好きでもない流行りの曲を聞き続けるなど、これまでも散々みんなと同じになれる努力をしてきました。
でも変わることはできませんでした。
自分のままで生きていくのは苦しすぎる。
自分を変えることはどうしてもできない。
そんな主人公に二木先生が見せてくれた(見てしまった)のが、もう一つのやり方でした。
(一応ここからワンクッションします)
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二木先生が教えてくれたもう一つの生きていく方法。
それは本当の自分を押入れに隠して「普通の人」の皮を被って生きていく方法です。
そうやって生きていくために、君には足りないものがある。それは自分を好きになることだよ。
そう二木先生は語りかけます。
なにも、社会に受け入れられないからと言って、本当の自分を殺してしまうことはない。
それは自分だけの押入れにしまって、外ではまるで「普通の人」みたいに振る舞う方法を学べばいい。
そして、自分だけは、押入れの中の本当の自分を愛してあげて。
そうじゃないと、壊れてしまうから、と。
「自分を好きでいられる行動をとりなさい」
「普通の人」として生きていくために、必死に自分を好きでいる努力をしてきた二木先生のこの言葉はあまりにも切実で。
二木先生の口からこの言葉を聞けただけでもこの小説を読んで良かったと思いました。
社会に受け入れられない特性だからこそ、自分だけは自分を好きでいてあげる。
自分を無理に変えるんじゃなく、そのままで社会とうまくやっていく方法を見つける。
そんなやり方もある。
そのことは胸に留めておきたいなと思いました。二木先生ありがとう。
「一号」「二号」とはなんだったのか
作中、二木先生は一度だけ主人公のことを「一号」、いじめっ子の吉田のことを「二号」と呼びます。
ということは二木先生はこの2人に何らかの共通点を見出していたんだと思うんですが、それが何だったのか改めて考えてみました。
こちらも一応ワンクッションします。
ネタバレ防止ワンクッション(タップで開きます)
- ①『あっち側(極端な生きづらさを抱えている)』の人間。
-
主人公は言わずもがな、先述の通り吉田もまた生きづらさを抱えた人間であると言えます。
なぜなら社会と健全な関わりを築けていないからです。
吉田が抱えているものについては明確にされていませんが、ゆりっぺ(クラスメイトの女子)の「何か知っていそう」な反応を見るに、本人の力ではどうにもできない環境的なものなのかな、という感じがします。
家庭の事情とかかな。
- ②「正論」で二木先生をぶん殴ってくる。
-
二木先生の秘密を知った主人公と吉田は、その秘密が決して社会に受け入れられないものであることを盾に、二木先生を激しく糾弾します。
いじめる側といじめられる側という真逆の立場にある2人ですが、二木先生に対する態度は一致していました。
二木先生が吉田のことを「二号」と呼んだのも、吉田が正論を振りかざして二木先生を糾弾している最中のことです。
- ③本当の自分を嫌っている。
-
二木先生は主人公に、君に足りないのは「自分を好きになること」だと伝えていました。
また、先の「自分を好きでいられる行動をとりなさい」は、吉田を見つめて発せられた言葉です。
つまり二木先生は、主人公も吉田も「自分のことを嫌っている(少なくとも好きではない)」と認識しているのです。
とここまで考えて、急に色んなことが腑に落ちました。
なぜ主人公と吉田は、二木先生を目の敵にして責め立てるのか。
なぜそんな2人に足りないものが「自分を好きになること」なのか。
結局のところ「一号(主人公)」と「二号(吉田)」は、二木先生の持つ「決して社会に受け入れられない特性」を否定することで、まさに「社会に受け入れられない特性」を持つ自分自身を否定していたんですね。
二木先生を攻撃しているようで、その実は消えて欲しい本当の自分自身をバチボコに攻撃していた。
そういう自傷行為だった。
二木先生にはそれが分かっていたから、そんなに自分を否定しないで「自分を好きになりなさい」だったんだなと。
そんなことを思ったらますます二木先生が好きになりました。そんなのもう愛じゃんね…。
まとめ:「自分を好きでいられる行動をとりなさい」
- 『二木先生』はサスペンスに見せかけた(?)青春小説だった。
- 二木先生が格好良すぎてやばい。ド性癖。やばい。
- めちゃくちゃ胸糞悪いいじめっ子が出てくるけど彼も結構重要なキーマンだった。
- 自分をさらけ出すでも無理やり変えるでもないもう一つの生き方を教えてくれる。
- 「自分を好きでいられる行動を取りなさい」
卑屈な陰キャ(言い方)が何も悪いことしてない先生を理不尽に脅したり、あまりにも理不尽ないじめっ子の吉田が暴虐の限りを尽くしたりとかなり胸糞悪い展開もありましたが、最終的には本当に読んでよかったです。
二木先生が教えてくれる、自分を無理に変えるんじゃなく、そのままで社会とうまくやっていく方法を見つけるという生き方。
これはきっと、極端に社会から忌避される特性を持つ人だけじゃなく、「こんな自分が嫌だ」と少しでも思ったことのある人みんなに必要なもので。
自分自身のことだけじゃなく、子どもを育てていく上でも心に留めておきたいなと思いました。



「自分のことが大好き」って言える自分でいたいね。



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おしまい
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