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「仕事を辞めて好きなことをしている」はずなのにずっと苦しかった理由【熊代亨『認められたい』を読んで考えたこと】

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さかなさん

さかなさんですどうもこんにちは!

前にも書きましたが、さかなさんは昨年末に仕事を辞めました。

「これで好きなこと(ブログ)に専念できる」

「子どもとの時間も大事にできる」

そう思いました。

ところがいくらやっても成果は目に見える形で上がって来ず、気持ちは焦るばかり。

子どもと過ごす時間は全く楽しくない。

気付けば私の毎日は、仕事を辞める前よりもずっとずっと、苦しいものになっていました。

そしてついには心身を壊し、医師に

さかな先生

鬱になりかけてるので、今やってること全部やめて休んで下さい。

と言われるまでになってしまいました。

しばらくブログの更新をストップしていたのはそのためです。

仕事を辞めて、大好きなことをする。

そのはずが、どうしてこんなにも苦しくなってしまったのか。

最近、精神科医の熊代亨氏の著作『認められたい』という本を読んで、2つの「ああそうか」を経て、その理由が分かった気がしたので、今日はその話をします。

目次

最初に用語解説:『承認欲求』『所属欲求』そして『認められたい』

人間には誰にでも「認められたい」という気持ちがあり、この「認められたい」は大きく2つに分けることができます。

それが『承認欲求』と『所属欲求』です。

承認欲求

・褒めてもらいたい
・注目されたい
・リスペクトされたい

など、他人を介して自尊心や満足感を満たしたい気持ち。
自分自身にはっきりと重点の置かれた「認められたい」。

所属欲求

・仲間とみなされたい
・誇れるような組織やグループに属していたい

など、集団的で主語のはっきりしない「認められたい」。
自分自身が褒められたり評価されたりしなくても、心を寄せている家族や仲間や集団が望ましい状態なら、それだけでも自分自身の気持ちが満たされ、心強くなるという特徴がある。

※いずれも本文より引用・要約

昭和以前の「定年退職まで一つの会社で勤め上げる」のが当たり前だった時代には、所属欲求の方が「認められたい」としては重要でした。

「認められたい」所属欲求から承認欲求に移行していったのは、企業が定年まで面倒を見てくれる保証がなくなり、個人主義が強まった現在においてはある意味当然の流れです。

その上で、所属欲求と承認欲求の両方をバランス良く満たすことが心の健康を維持するためには大切だと著者は主張しています。

ちなみに、この用語解説の項だけですでに私の2つの「ああそうか」が出ています。

それほど初歩的かつ根本的なところで私はつまづいていたんですねぇ。

1つ目の「ああそうか」:承認欲求と所属欲求のバランス

一つ目の「ああそうか」は、承認欲求と所属欲求のバランスについてです。

「認められたい」を承認欲求のみで満たそうとしている人は、自分が褒められたり評価されたりしない限り心理的に満たされず、飢えやすい。

所属欲求でも「認められたい」を満たせる人は、自分が褒められていなくても心理的に満たされる状況になりやすいので、飢えにくい。

「認められたい」が満たされる手段が1種類しかないより、2種類あった方が、飢えにくいのは当然である。

※本文を要約

これを読んで、そうか、仕事を辞めて所属欲求を満たせる場が無くなってしまった結果、承認欲求だけが必要以上に高くなってしまったのが私の苦しみの原因だったんだな、と納得しました。

私は、職場が嫌で辞めたわけではありません。むしろ今まで勤めた中で1番好きな職場でした。

仕事内容としてはキツいんですが、優しくて頼れるスタッフが揃っていたので、仕事に行くこと自体は全然嫌じゃありませんでした。

もちろん当時はそんなことは全く意識していませんでしたが、私はここで所属欲求、ひいては「認められたい」を大いに満たしていたんですね。

なおかつ細々とブログも続けて、収益は少ないながらも適度に承認欲求も満たしていた。

この頃の私は所属欲求と承認欲求のバランスがしっかりと取れていたんですね。

ところが、仕事を辞めて所属欲求が満たせなくなってしまった。

そして満たせなくなった分の「認められたい」の全てを、承認欲求に求めてしまった。

悪いことに、さらにここに(仕事を辞めたから)お金を稼がないと」という焦りが加わって、承認欲求を満たす手段が『収益』だけになってしまった。

ところが一向に収益は上がってこない。(そもそもブログはすぐに収益が出るものではないんですが、焦っていたんだと思います)

だからずっと「認められたい」が満たされなくて、ずっと飢えて、飢えて、苦しかったんだと思います。働いていた時よりも。

じゃあやっぱりパートでもなんでも良いから、仕事に就いた方がいいのかなぁ。

と思ったんですが、必ずしもそうじゃないと気付いたのが2つ目の「ああそうか」です。

2つ目の「ああそうか」:所属欲求を満たす対象は、家族でもいい

所属欲求には、自分自身が褒められたり評価されたりしなくても、心を寄せている家族や仲間や集団が望ましい状態なら、それだけでも自分自身の気持ちが満たされ、心強くなるという特徴があります。

※本文から引用・要約

これを読んで私は、所属欲求を求める対象は家族でもいいんだという、本当に本当に基本的なところに初めて気付きました。

思考が完全に「お金を稼げない自分は駄目」に偏っていたので、家族が自分の「認められたい」を満たす手段になり得るなんて、考えもしなかったんです。

そして

『所属する組織が上手く行っていることや、メンバーの成功で満たされるのが所属欲求』

という説明に、自分がいかに家族への所属意識がなかったかという事に気付きました。

私は、子どもを産んでから、家の中に自分の居場所がない、役割がないと感じることがよくありました。

自分の家にいるのになぜか疎外感を感じて、時にはそれを夫のせいにして責めてしまうこともありました。

でも、先に家族をないがしろにしていたのは、私の方でした。

心を寄せようとしないのは、私の方でした。

家族が健やかである事を、子どもの成長を、誇りに思っていい。

家族の一員である事を誇りに思っていい。

私が欲しいのは、収益でも、自分で稼ぐ能力でもなくて、自分を誇れる何かだったのだと。

家族が健やかであることを、私は誇って良いのだと。

そう思ったら、なんだかホッとして、力が抜けて、涙が出ました。とてもとても、涙が出ました。

まとめ:家族の一員であることを、あなたは誇りに思っていい

  • 仕事を辞めて所属欲求を満たせる場が無くなってしまった結果、承認欲求だけが必要以上に高くなってしまったのが苦しみの原因だった。
  • 所属欲求を求める対象は、家族でもいい。

これが私の2つの「ああそうか」です。

需要があるのか分からないけど、家庭と副業のバランスが取れなくて苦しんでいる人、そんな自分にがっかりして苦しんでいる人がいたら、

「家族が健やかであることを、あなたは誇っていいんだよ」

と言ってあげたいです。

あなたがあなたの家族の一員であるというだけで、あなたはあなたを認めてあげていいんだよ、と。

「認められたい」が枯渇した状態でやるよりも、副業もきっと上手くいく。

今はそう思っています。

さかなさん

ここまで読んで頂いてありがとうございました!

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おしまい

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この記事を書いた人

元ICU看護師。2児(5歳♀、2歳♂)の母です^^
現在は個人事業主として在宅ワーク中。

人生を楽しみ尽くすことを目標に、日々の楽しかったことや勉強したことをブログに綴っています。

ジャンルは住まい(一条工務店)、育児、学んだことの記録、読書記録など、色々。

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